国家総動員などを勉強した

勉強をしました。戦争の長期化を覚悟した近衛内閣は挙国一致の体制づくりをはじめました。まず、政府は国民精神総動員運動をおこして国民の思想を戦争遂行に向けて統一しようとしました。さらに1938年には国家総動員法を制定して、政府は議会の承認なしに必要に応じて物資の統制を行ったり、労働者を一定の業務に強制的に従事させることができるようになりました。一方、各職場では国策に協力するため産業報国会が結成され、1940年には全国組織として大日本産業報国会が成立しました。また、政府は軍需品を優先的に確保することに重点をおき、軍需産業には輸入資材や資金を優先的に割り当てました。労働力については1939年の国民徴用令で一般国民を軍需産業に動員できるようにしました。一方、軍需関連以外の物資の輸入や生産は制限され、国民生活の面でも日用品の統制が強まりました。1940年に砂糖・マッチなどが切符制となり、政府からあらかじめ配られた切符がなければ、それらの商品を買うことができなくなりました。こうして、節約と買い占め防止がはかられるようになり、やがて米の配給制、さらには衣料切符制も行われました。カミカ